松倉城跡(国指定史跡)
室町時代に築かれた山城跡、堀切や曲輪、石垣で囲まれた本丸、二ノ丸、三ノ丸跡が残る
松倉城とは
飛騨地方南部を支配した三木氏の城で、豊臣秀吉の命を受けた金森氏が侵攻し、その後破城が行われたとされています。本丸・二ノ丸・三ノ丸の城中枢部を総石垣造りとしており、本丸の中心部には穴蔵状に石垣が囲んでいます。発掘調査によって、本丸内部の構造や二ノ丸に礎石を伴う建物が存在したことなどが明らかになりました。埋門や出枡形虎口の破城の状況などを確認し、城郭の構造や土の城から石の城、破城へと城の変遷を知る上で重要な遺跡です。戦国時代の飛騨地方の政治状況や、土造りの城から石垣を持つ城、そして破城という城郭の歴史を知る上できわめて重要な遺跡として評価され、令和7年3月10日に国史跡として指定されました。市の国史跡指定は、1980年(昭和55年)の堂之上遺跡以来で、5例目です。
本丸石垣、三ノ丸埋門
本丸とその南西に伸びる三ノ丸には、5~8メートルの高さで、中には長さ2メートルを超える巨石を用い、隅角部に算木積みを志向する高石垣が築かれています。一方、本丸の東にある二ノ丸では、北側と南側に小型の石材を用いた低い石垣が、東側に大部分を中小石材で築いた2段の石垣が見られます。粗い石積みや竪堀、堀切などを用いて北側と東側を意識した遺構と、高石垣を築き西側と南側を防御しようとする2系統の城郭遺構から、土造りの城から石垣を持つ城への2段階で築城されたことが想定されます。三木氏による当初の築城と、その後の改修によるものと考えられます。
また、三ノ丸の埋門や虎口が崩された石垣の石材などで埋められており、石垣が大きく崩されている本丸の北側と同様に、破城が行われた痕跡があります。
埋門推定復元図
松倉城跡の概要
三ノ丸石垣
松倉城跡は、戦国時代の飛騨地方の政治状況や、土造りの城から石垣を持つ城、そして破城という城郭の歴史を知る上できわめて重要な遺跡として評価され、令和6年12月20日(金)に開催された文化庁の文化審議会文化財分科会で国史跡の指定案件として答申されました。その後官報告示を経て、令和7年3月10日に正式な決定を受けました。
| 文化財の種類 | 史跡 |
| 文化財の名将 | 松倉城跡 |
| 時代 | 室町時代 |
| 面積 | 55.396平米 |
| 主な構造 | 石垣、曲輪、堀切、竪堀、出枡形虎口、埋門(うずみもん) |
松倉城調査指導委員会委員長 中井均氏(滋賀県立大学名誉教授)のコメント
山城としてこれほどの石垣を築いた城は飛騨ばかりでなく全国的にも数少ない事例として注目される。石垣は2時期の構築が認められ、さらに虎口や埋門が崩されており、破城の状況もうかがうことができる。戦国時代の三木氏から豊臣政権として飛騨に入国した金森氏によるものと考えられ、まさに飛騨の戦国史の変遷を物語る第一級の城跡として評価できよう。
動画
基本情報
- 所在地
- 岐阜県高山市松倉町2059
- 電話番号
- 0577-35-3156
- お問い合わせ先
- 高山市教育委員会文化財課
- アクセス
- 飛騨の里より徒歩15分
- 駐車場(大型バス)
- なし
- 駐車場(普通車)
- あり(数台)
- WEBサイト
- https://www.city.takayama.lg.jp/kurashi/1000021/1000119/1000847/1000954/1000964.html


















