HIDABITO 038 日本舞踊家・振付師 谷口裕和氏
ふるさとに本物の踊りを届けながら、「守破離」の精神で伝統芸能の発展に寄与
流派に属することなく、その存在を世界に周知した素踊りの名手

2025年6月の公開から1年以上に渡ってロングラン上映され、観客動員数1415万人超を記録した映画「国宝」。歌舞伎俳優の激動の半生を描いたこの作品で、舞踊指導を手がけたのが谷口裕和さんだ。紋付き袴姿で踊る素踊りの名手として知られ、現在、高山と東京、京都、大阪を拠点に活動している。自身も本作品で「日本アカデミー賞クリエイティブ貢献賞」を受賞するなど、その活躍は目覚ましい。
クランクインする前、二人の主演俳優と子役らが谷口さんの高山の稽古場を訪れていたのは知る人ぞ知る話だ。「李相日監督との初顔合わせで、生まれたときから歌舞伎俳優に見えるように稽古をつけてほしいとリクエストをいただいて。2023年1月から稽古を重ね、クランクインは翌年の3月。その直前に3日間ここにこもって合宿したんです。朝から晩まで踊り漬けで、『二人藤娘』『二人道成寺』も全部やりました。お昼は僕が作ったカレーや牛丼をみんなで食べてね(笑)。自然と観光が共存する高山は、集中するのに良い環境だったと思います。」


数寄屋造りの稽古場には、ヒノキの一枚板が30枚ほど敷き詰められた広い舞台がある。奥行き2間半、幅4間(約4.5メートル×約7.3メートル)、優に20畳はあるこの場所で、今をときめく俳優たちが汗を流した。撮影エピソードは尽きることなく、谷口さんの洒脱な口調にどんどん惹き込まれていく。歌舞伎俳優をはじめ、名だたる俳優陣がこの稽古場を再訪すると聞いたが、谷口さんの気さくな人柄に因るところも大きいのだろう。「合宿中、一度『洲さき』のお座敷で食事会を開いたんです。その夜は雪が降って、庭の松の枝を白く覆った。それが台本で読んでいた冒頭の場面を彷彿とさせて、思わず子役二人に『積恋雪関扉』をやってみたら?と勧めて踊ってもらいました。劇中劇の関の扉(せきのと)は始まりの本当に大事なシーンなんですけど、踊り合わせの時間が取れていなかったんですよ。」

「洲さき」は、創業230余年を誇る高山屈指の老舗料亭。高山が天領だった頃の風情と品格を今に伝える重要文化財に指定された建物は、谷口さんにとって勝手知ったる我が家だ。宴席さえも舞台に変える、プロ意識に感服する。
「今の十代目社長は僕の叔父です。母は四人姉弟で、長女の婿は先代の板長、次女は東京に嫁ぎ、三女の母はお帳場担当で板前の父と結婚して谷口姓になりました。八代目女将だった曽祖母は芸者衆に踊り、三味線、鳴物を教えていた人なんですね。芸事が傍らにある環境で、僕は1歳くらいでお扇子を持って踊っていたそうです。」

日本髪のかつらがほしいと、父におねだりする子だった。芸妓さんを遊び相手に伝統芸能に親しみ、小学校に入学してすぐ地元で日本舞踊を習い始めた。物心がつく頃には踊りで生きていきたいと思っていたというが、谷口さんにとって至極自然な流れだったのだろう。人間国宝の故・十世西川扇蔵 氏 から誘いを受け、中学を卒業すると上京し内弟子に入った。
「入門してまず学んだのは家事でした。同時に大検(現・高等学校卒業程度認定試験)取得のために予備校にも通って。住み込みで裏方のお仕事もあり、思うようにお稽古ができない葛藤が積もっていきました。でも、中学時代に恩師から掛けられた『石の上にも三年』、校長先生から色紙でいただいた『十五の想いは一生を貫く』という言葉が、なんとか奮い立たせてくれましたね。」

それでも4年目に、辛抱の糸がぷつんと切れた。ある夜、谷口さんは何も告げず師の元を飛び出した。この無謀とも思える決断が、その後の転機につながっていく。19歳から谷口さんは故・梅津貴昶(たかあき)氏のもとで振り付けを学び、26歳で独立。日本舞踊では流派それぞれに代々伝わる振り付けがあり、伝承しながら名取を目指すのが不文律だが、谷口さんはあえてどこにも属さない生き方を選んだ。

「本名でやろうと思いました。そのお披露目を兼ねて始めた『谷口裕和の會』を、今年の夏は高山でも開催しました。高山には伝統や文化を育む風土があるのに、古典芸能に触れられる機会は頻繁にはありません。僕がやるのは本物。高山で生きた古典を楽しんでほしいですね。」

肩書きがないことを不安に感じた日々もあったが、しがらみが一切ない個での活動が映画の舞踊指導という新たなフェーズに進む契機となった。映画館のない高山で、『国宝』上映会ができるように行政に働きかけるなど、谷口さんがふるさとに抱く想いは深い。秋には田中泯さんと共に、日下部民藝館での開館60周年記念特別公演に出演する。これからも型を守り、それを破り、型から離れる「守破離」の精神で、高山に“本物”を届け続ける。
| 名前 | 谷口裕和飛騨高山舞踊稽古場 |
| 住所 | 岐阜県高山市神明町3-81-1 |
| 公式サイト | https://www.fumibishi.jp/index.html |









