飛騨に実在したと伝わる「両面宿儺(りょうめんすくな)」

武勇に優れた古代の英雄、地元で篤い信仰を集める

飛騨に実在したと伝わる「両面宿儺(りょうめんすくな)」

飛騨高山に実在したと伝わる、豪族「両面宿儺」。近年、人気マンガ「呪術廻戦」の影響で、その存在が広く知られる所となりました。飛騨高山には両面宿儺の言い伝えが残り、地域の守護神として古くから祀られています。高山市丹生川(にゅうかわ)や各所に伝わる、飛騨の古代の英雄をご紹介します。

書物に記された両面宿儺の姿

日本書紀に見る両面宿儺の逸話とは

両面宿儺の名前は古くは日本書紀(720年に完成)に伺えます。


六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺 其爲人 壹體有兩面 面各相背 頂合無項 各有手足 其有膝而無膕踵 力多以輕捷 左右佩劒 四手並用弓矢 是以 不随皇命 掠略人民爲樂 於是 遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之(日本書紀より)

       

これによると、仁徳天皇の御代65年に飛騨に両面宿儺がいたと記されています。宿儺という名前と、体は1つだが顔が2つある、頭頂部でくっついていてうなじがない、手足も4本ずつあり膝の裏や踵(かかと)がない、など宿儺の体の特徴が書かれています。力が強く敏捷で、4本の手に2振りの剣と2張りの弓矢を使ったという身体能力の高さにも言及されています。天子の意に従わず人民から略奪をするため、武人を遣わして討伐をしたという大意になろうかと思います。

一方で、飛騨地方に伝わる宿儺像は趣が異なります。両面宿儺は武勇にすぐれ、神祭の司祭者であり、農耕の指導者でもあったと言われ、地域を中央集権から守った英雄であったと語り継がれています。これは日本書紀が支配者側の視点で書かれている書物であることに起因すると考えられます。

両面宿儺を開祖とする千光寺(せんこうじ)

1600年前に宿儺が開山したと伝わる古刹

千光寺は高山市丹生川町にある真言宗のお寺です。1600年前に両面宿儺によって開山し、1200年前に真如親王によって真言密教の寺として建立されたと伝わります。円空仏を多く所蔵していることで知られており、寺内にある円空仏寺宝館で見学することができます。


円空仏寺宝館「両面宿儺坐像」「両面宿儺立像」

生涯に12万体の仏像を刻んだと言われる漂泊の仏師 円空。寛永9年(1632年)に美濃に生まれ、64年の生涯の内多くの足跡を岐阜県に残しています。享保3年(1685年)に千光寺を訪れ、住職と意気投合し数年滞在し、その間飛騨を廻って各地で造仏しました。

現在千光寺では64体の円空仏を展示しており、その一つに「両面宿儺座像」があります。「両面宿儺座像」の大きな特徴は、宿儺の両方の顔を並べて彫っているところ。千光寺に残る石像や「両面宿儺立像」、後述の善久寺の像、いずれも日本書紀の記述通りに前後に顔を備えていますが、円空の彫った「両面宿儺座像」は両面を左右に並べており、円空の自由で闊達な解釈が見てとれます。

この円空仏を展示している円空仏寺宝館には「両面宿儺立像」の1体が展示されており、同時に拝観可能です。この立像は製作年代不詳ではあるものの、修復の記録が残っており、これによると明和9年(1772年)に仏師 野田与三八により修復、彩色されています。

また、千光寺にはもう1体「両面宿儺立像」の所有があります。こちらは嘉永7年(1854年)に高山の仏師 大坪東平の手により造仏されたもの。通常は非公開で本堂に納められ、毎日の勤行の際に「南無両面宿儺」との祈りを捧げられています。限定的に円空仏寺宝館で公開されることがあります。


宿儺堂「両面宿儺の石像」

寺の縁起である「千光寺記」には、1600年前、仁徳天皇の時代に飛騨の豪族 両面宿儺が千光寺を開山したとの記述があります。両面宿儺が仏法の契約により出現し、袈裟山の山頂で妙法蓮華経(法華経)や袈裟、千手観音像を掘り出し、寺の名を「袈裟山千光寺」としたという内容です。

千光寺では開祖として両面宿儺4体を祀っており、寺内にある宿儺堂には石像の両面宿儺が安置されています。宿儺堂は慶長3年(1598年)再建と伝わることから、これより前から千光寺で宿儺信仰が行われていたことは間違いないようです。宿儺堂は限定的に公開されており、非公開時も前後の小窓から宿儺のそれぞれの顔を拝むことができます。正面、背面ともに柔和な顔つきで、悪鬼のように描かれている日本書紀から受ける印象と異なります。剣や鉞のような武具を正面、背面それぞれに携えているのが造形的な興味をそそられます。


円空仏寺宝館・宿儺堂
開館期間4~11月の土、日、月曜日および祝日
夏季特別公開:2024年7月27日~8月26日
開館時間9:30~16:30
料金円空仏寺宝館:大人500円、小中高生200円
宿儺堂:小学生以上100円
住所高山市丹生川町下保1553
電話番号0577-78-1021
詳細https://www.hidatakayama.or.jp/spot/detail_1653.html


※すべての画像は千光寺の許可を得て掲載するものです。また、テキストも同様に監修を受けています。転載、転記は許可していません。

両面宿儺が建立したと伝わる善久寺(ぜんきゅうじ)

「両面宿儺出現記」と両面宿儺像、御膳石が残る

善久寺は丹生川町にある曹洞宗の寺院です。元は真言宗の寺院で、江戸時代に曹洞宗に改宗しました。善久寺には両面宿儺出現の様子を記した「両面宿儺出現記」が残されています。これによると、仁徳天皇の時代に丹生川日面村の出羽が平の山上が鳴動し、岩壁が崩れて岩窟が生じ、その中から両面宿儺が登場したとあります。二面四手四脚、身の丈6mで甲冑を帯び手に鉞を持っていた、と。山の畑で仕事中だった村人たちが恐れ逃げ惑ったところ、宿儺がこれを諫めます。仏法の守護のためにこの世に出現したと言う宿儺に、1人の村人が平伏して家に招きたいと申し出たところ、宿儺は印を結び小さな十一面観音の姿に変化します。村人は観音像を大切に抱いて日面村に帰り、庵を建てて宿儺に仕えたとのことです。

善久寺には両面宿儺に因んで両面宿儺像や十一面観音が祀られています。また、両面宿儺が最後の食事をとったという云われが伝わる御膳石(ごぜんいし)が残されています。


両面宿儺像

善久寺に残る両面宿儺像は製作年代や作者は不明ながら、中国風の衣装を身にまとった端正な顔つきの立像です。慈愛に満ちた柔和な面と憤怒の面を前後に併せ持ち、4本の腕に2丁の斧を携えています。顔面は金、甲冑は黒ずんだ中に朱塗りが多く残っており、元は鮮やかな彩色が施されていたものと想像できます。


御膳石

両面宿儺は当時の朝廷に逆らったものと敵視され、派遣された武人 難波根子武振熊命(なにはのねこたけふるくまのみこと)に討伐されるのですが、善久寺には決戦の前に両面宿儺が食事をとったという御膳石が残されています。村人に類が及ぶのを恐れた両面宿儺はもてなしの膳を軒から外れた石を膳に鍋を食べたとされ、その石が今も善久寺に残る御膳石です。このように、日本書紀の記述とは逆に民を気遣う宿儺の心優しい一面が丹生川町には伝わっています。


善久寺
開館期間

土日祝のみ拝観可能

※寺院の行事により拝観できない場合もあります

住所高山市丹生川町日面788
電話番号0577-79-2148
詳細https://www.hidatakayama.or.jp/spot/detail_5182.html

両面宿儺出現の地 飛騨大鍾乳洞

宿儺が出現し、住んだと伝わる洞窟

  • 両面窟は現在閉鎖している

善久寺からほど近くにある飛騨大鍾乳洞。観光鍾乳洞としては標高900mと国内でもっとも高地にあり、夏でもひんやりと涼しい人気スポットです。この近辺である出羽が平の岩窟より両面宿儺が出現したと言われています。


両面窟(りょうめんくつ)

この飛騨大鍾乳洞の向かいの山中に宿儺が出現したとされる両面窟があります。鍾乳洞の西方約100m、人の往来を強く拒むような急峻絶壁にあり、両面宿儺が住んでいたという伝説と、訪れる者があれば天候が荒れるとの言い伝えがあり、江戸時代の地誌「飛州記」にその記述が残ります。洞窟の奥に宿儺像が安置されており、かの弘法大師が両面窟で宿儺の供養をしたとも伝えられています。

平成2年(1990年)に歩道や照明の整備を行ったものの、落石の危険が高いため現在は閉鎖中です。


両面宿儺遥拝所(りょうめんすくなようはいじょ)

両面窟の奥には両面宿儺石像が祀られていますが、現在落石の恐れがあるため閉鎖しています。そのため、両面窟の登り口に両面宿儺遥拝所が開かれています。飛騨千光寺の円空物を模した両面宿儺像が安置されています。


両面宿儺パネル展

両面宿儺の伝説は飛騨地域の他、岐阜県内に多く残ります。このパネル展には高山市丹生川町のみならず、高山市一之宮町、下呂市、関市に残る宿儺の足跡(そくせき)を写真と共に解説しています。


飛騨大鍾乳洞・両面宿儺パネル展
営業日年中無休
開館時間(4月~10月)8:00~17:00
(11月~3月)9:00~16:00 
料金飛騨大鍾乳洞:大人1,100円、小人550円
両面宿儺パネル展:無料
住所岐阜県高山市丹生川町日面1147
電話番号0577-79-2211
詳細https://www.hidatakayama.or.jp/spot/detail_1652.html

山中に残る石に窪みが残る 両面宿儺の足跡

千光寺までひとっ飛び

両面宿儺の足跡

高山市丹生川町坊方の山中に両面宿儺の足跡と呼ばれる石が残っています。杉の根元にひっそりとあるこの石の表は足の形のように特徴的にくぼんでおり、両面宿儺がこの地と千光寺の間を飛翔した際に残した足跡と言い伝えられています。

超人的な力をふるった宿儺の貴重な伝承の1つですが、現在は至る道が荒れてしまい、見学することは難しいです。道中には漆(うるし)も生えていると報告されているため、入山はご遠慮ください。

丹生川町のシンボル 巨大な両面宿儺像

巨大な木製の像が訪れる人を出迎える

両面宿儺座像のレプリカ

飛騨から美濃を駆け巡り郷土のために武勇をふるったと言い伝えられる両面宿儺。地域の英雄である「両面宿儺」をたたえ、宿儺発祥地である丹生川支所の正面に千光寺の両面宿儺座像の巨大なレプリカが設置されています。


高山市丹生川支所
住所高山市丹生川町坊方2000
電話0577-78-1111


難波根子武振熊命が創建したと伝わる櫻山八幡宮

武勇の神として今なお厚い信仰を集める

一方、飛騨高山の市街地には、両面宿儺を討伐したという難波根子武振熊命(なにはのねこたけふるくまのみこと) の伝説が残ります。高山市桜町にある櫻山八幡宮もその一つ。飛騨高山の市街地の中心部にあり、荘厳な雰囲気が漂う境内には本殿の他、5つの末社、毎年10月の例祭で曳き出される屋台を展示する「高山祭屋台会館」があり、年間を通じて多くの参拝者が訪れます。10月の例祭は「秋の高山祭」とも呼ばれ、ユネスコ世界遺産にも登録され、この有名な祭を一目見ようと、毎年10月には大変な人出となります。


照前神社(てるさきじんじゃ)

この櫻山八幡宮の創建が難波根子武振熊命であると伝わります。両面宿儺の討伐のために飛騨に入った武振熊命が先帝 応神天皇(おうじんてんのう)の御霊を奉祀し、戦勝祈願を桜山の神域で行ったことが櫻山八幡宮の創祀と伝えられます。現在も境内の末社 照前神社には武振熊命が武勇の神として祀られています。古代日本の豪族 和珥(わに)氏の祖とされる難波根子武振熊命は反乱を討伐する大将としてたびたび遣わされたことが日本書記や古事記に記されており、武勇に大変優れた人物であったことが伺えます。また歯の神様でもあり、年の数だけ煎った豆を御供えすると歯痛が治ると言われており、善男善女の厚い信仰を集めています。


櫻山八幡宮
住所岐阜県高山市桜町178番地
電話番号0577-32-0240
詳細https://www.hidatakayama.or.jp/spot/detail_1179.html

両面宿儺討伐の歌詞が残る若宮八幡神社

難波根子武振熊命の飛騨入りの様子が謳われる

高山市石浦町(いしうらまち)にある若宮八幡神社。毎年9月に行われる例祭では地元の子どもたちによる「槍踊り」が披露されます。この「槍踊り」の歌詞に両面宿儺と戦った難波根子武振熊命(なにはのねこたけふるくまのみこと) が登場します。


槍踊り

「槍踊り」の前半は、應神天皇、仁徳天皇の威光を称え、そのころ飛騨には両面宿儺と言う凶賊があり、人々の命や財宝が脅かされる様が謳われています。その後に続く歌詞をご紹介します。


帝はこの由しきこしめし 御心深くなやまされ

宿名討てとのみことのり 武振熊にぞ下される

命は仰をかしこみて 道なき道をたどりつつ

山路はるばる踏み分けて 二之瀬の里にぞつきにけり

明日は荒ぶる宿名をば ただ一打ちにせんものと

應神仁徳二方を 祀りて戦勝祈りつつ

石もて勝敗占えば たちまち勝ちと定まれり

命は槍を取り上げて 士卒諸共舞いにけり(若宮八幡神社「槍踊り」歌詞より抜粋)


飛騨の人々の苦難を憂えた帝が討伐の意を下し、命を受けた難波根子武振熊命が飛騨入りし、戦勝を祈り石で占ったところ勝利という結果となり、槍を持って喜び舞い踊ったという意味になろうかと思います。この時に武振熊命が行った石占い、これが石浦町の町名の由来とのことです。

丹生川町に伝わる両面宿儺が飛騨の人々の安寧を願った英雄であるとされているのに対し、櫻山八幡宮や若宮八幡神社では日本書記寄りの伝承が伝わっています。これは宿儺亡き後、朝廷の影響をより受けやすかったのが現在の市街地付近であったと想像できるのではないでしょうか。


神話に近い時代のこと、宿儺にまつわる様々な逸話の真実はベールに包まれたままです。が、宿儺だけではなく敵対する人物の伝承も色濃く残っていることから、少なくとも両面宿儺と呼ばれる人物が飛騨に実在し、人々に影響を与えたことは疑いがなさそうです。


若宮八幡神社
例祭の日程2024年9月23日(月)
住所岐阜県高山市石浦町3204

両面宿儺の名を冠したものたち

宿儺かぼちゃ、宿儺鍋、宿儺まつり…郷土の英雄は今も地域のシンボル

  • LE MIDI「宿儺かぼちゃの三ツ星プリン」
  • 老田酒造「本格焼酎 宿儺かぼちゃ」
  • 二木酒造「大吟醸 両面すくな」

約1600年前に実在したと言われる両面宿儺。高山市には両面宿儺の名を冠した商品やイベントがあります。郷土で愛される英雄の名を冠した商品をご紹介します。


宿儺かぼちゃ

へちまのようにひょろっとした形が特徴的な宿儺かぼちゃ。平成12年(2000年)に丹生川町の新たな特産品を、と研究が始まり、今では丹生川町のみならず飛騨高山の特産品として広くその名を知られるようになりました。

「長かぼちゃ、ひょうたんかぼちゃっていう案もあったんやけど、宿儺さまのように親しまれてほしいと願いを込めて『宿儺かぼちゃ』になったという経緯があります」(宿儺かぼちゃ研究会 若林氏談)

その願いの通り、今では全国多くの人に知られ愛されるようになった宿儺かぼちゃ。濃厚で甘みがずば抜けて強い宿儺かぼちゃは2次加工品も多く、プリンやパン、スコーンなどのお菓子や日本酒、焼酎として人気を博しています。

宿儺かぼちゃ誕生の経緯はこちらHIDABITO 023 宿灘かぼちゃ研究会 会長 若林 定夫 氏


宿儺鍋、宿儺まつり

毎年11月3日に行われる「飛騨にゅうかわ宿儺まつり」。この祭で使われたのが直径6.1mの巨大な宿儺鍋。2万食が作れるという特注の巨大鍋は重さなんと9t。第1回の平成13年(2001年)から第7回の平成19年(2007年)まで使用されました。現在は飛騨大鍾乳洞に展示してあります。


ご当地ゆるキャラ「すくなっツー」

丹生川地域の農業や観光などの魅力PRが趣味。 両面宿儺をモチーフに誕生した「すくなっツー」の性格は、やさしいけれど時々怒りっぽくなる気分屋さん。

等身大パネルが飛騨大鍾乳洞 入場口前に展示されています。


両面宿儺のラッピングバス

令和3年(2021年)、高山市と各地を結ぶ高速バス路線に千光寺の両面宿儺座像を配したラッピングバスが運行を開始しました。「呪いの王」と飛騨高山の関連性を知る人は多くなく、たくさんの人に両面宿儺発祥の地である飛騨高山を知っていただきたいという思いよりスタート。新宿線、大阪線、名古屋線、岐阜線のいずれかを運行しています。レアな2台のバスに遭遇できた方はかなりラッキーかも!

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