醫王山 飛騨国分寺

飛騨随一の古刹の名にふさわしい風格

1250年の昔、聖武天皇の勅願によって建立。草建は天平18年。開基は行基菩薩。当時建てられた七重大塔の巨大な礎石が残っています。本堂は室町時代の建築。樹齢1250年以上といわれる大イチョウ、飛騨地方唯一の三重塔、本尊には薬師如来坐像等が安置されてます。

飛騨国分寺の大イチョウ(日本遺産構成文化財)

樹齢1200年を超える大木

飛騨国分寺では、本堂と鐘楼門の間に位置する、樹齢1200年を超える大イチョウが有名です。高さが約27mにもなる雄株で枝葉が密生し、今なお樹勢は盛んです。

この大イチョウには、悲しい伝説が残されています。昔、国分寺塔跡に七重塔が建てられた時のことです。建設の際、柱の寸法を間違った大工の棟梁に、その娘が柱の上に枡組を置いて補うアイデアを教えました。そして娘はその秘密を守るために、自ら命を絶ったのです。そこに墓標として植えられたのが、国分寺の大イチョウだといわれています。
また昔から、国分寺のイチョウの葉が落ちれば雪が降るとも言い伝えられています。

国分寺三重塔(日本遺産構成文化財)

三代目水間相模守による塔建築

近世飛騨の社寺建築は、和様を基本としていて、柱上の組み物などに他の地域とは違う独自性が見られます。この時代には代々木工を仕事にする一門が多く現れ、飛騨匠の技が伝承されました。このうち、「飛騨匠の祖」として崇敬を集める飛騨権守・藤原宗安の直系とされるのが、江戸時代中期以降4代にわたり「水間相模守」を名乗り、優れた彫刻を特徴とした水間一門です。市内中心部には、三代目による国分寺三重塔があります。現在の塔は、寛政3(1791)年の大風で吹き倒されてから31年後、庶民の喜捨浄財金800両と、大工手間5500人工をかけて、文政4(1821)年にようやく竣工されました。飛騨では唯一の塔建築で、真言密教の教主である金剛界、胎蔵界の大日如来を安置する、岐阜県の重要文化財です。 

国分寺本堂(日本遺産構成文化財)

飛騨地方随一の古刹

国分寺は行基が開基し、西暦746年に創建された、この地方随一の古刹です。飛騨匠の技が息づく風格のある本堂は、室町時代中期に建てられました。

本堂の中には、木彫りやからくりの技に優れた室町時代の名工・木鶴大明神像や、飛騨の大工として初めて受領名と飛騨権守の地位を受けた藤原宗安像が安置されています。
また、境内には樹齢1200年を超える国指定天然記念物の大イチョウと並んで白木造りの三重塔がそびえ立ち、四季折々に違った表情を楽しませてくれます。

国分寺表門(日本遺産構成文化財)

屋根の形が美しい名工の作

国分寺表門は元文4 (1739) 年、名工松田太右衞門の作です。飛騨の代官であった長谷川忠崇の手代で、小林儀右衛門ら4人の寄進により建てられました。特に屋根の形が美しく、冠木上に架せられた板蟇股や腕木の繰り形に、飛騨地方中期の建築様式の好例を残しています。当初は基壇(建物を支える石や土の壇)がなく、地表面上に建てられていましたが、保存のため基壇が設けられました。昭和52(1977)年に高山市の文化財に指定。昭和53(1978)年には、のし板葺だった屋根も現在の銅板葺に改められています。

飛騨国分寺塔跡(日本遺産構成文化財)

奈良時代の飛騨の歴史が判明

高山市総和町にあり、大イチョウや三重塔がそびえる飛騨国分寺。境内には高山城から移されたといわれる鐘楼門などがあります。

国の重要文化財である本堂は室町時代の建立。本堂の東側には、玉垣で囲われた塔心礎石が据えてあります。飛騨国分寺は天平13年(741年)の詔により、天平勝宝9年(757年)ごろまでには完成していたといわれ、この心礎は創建当時のものと推定されます。礎石の形状はほぼ方形で、上面に円柱座を造り、その中央部に円形の穴があけられた「ほぞ穴式心礎」です。石質は地元で「松倉石」と呼ばれているリュウモン岩です。
古代の国分寺と国分尼寺金堂が確認されたことは、奈良時代における飛騨の歴史の解明に大きく寄与しています。

基本情報

所在地
岐阜県高山市総和町1-83
電話番号
0577-32-1395
営業時間
9:00~16:00(本堂拝観)
休業日
12月31日、1月1日(本堂拝観)
料金
大人500円/小中学生400円(本堂拝観)
アクセス
JR高山駅から徒歩5分
WEBサイト
醫王山 飛騨国分寺岐阜県でいただく、わたしの推し御朱印

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