飛騨高山に伝わる車田(くるまだ)

飛騨高山に伝わる車田(くるまだ)

佐渡と飛騨だけに伝わる特殊な田植え

車のように丸く稲を植えることから「車田(くるまだ)」と呼ばれている特殊な田圃です。昔は、ここで取れた米は伊勢神宮に奉納されたと伝えられていますが、一説には山の神を迎える田であったとも言われています。神聖な田として肥料も下肥(しもひ)は使わず、わらだけを使い、汚れた水も流れ込まないようにしていました。田が丸いことから特殊な植え方をし、高山市松之木町の車田保存協力会が昔ながらの方法を今に伝えています。

そのやり方は、

  1. 田の中央に杭をたてる
  2. そこから7本の線を引く
  3. 線上に3本の苗を5株ずつ植える
  4. 外側に苗を同心円状に植えていく

これを七・五・三の田植えともいいます。全国では佐渡両津市北鵜島と、ここ高山市松之木町にのみ残る珍しい田植えです。

和歌に詠まれた車田

その珍しさから江戸時代より飛州志など書物に取り上げられてきました。また1825年に田中大秀(1847-1777)が碑文を書き、日下部道堅が碑を建てましたが、今は残っていません。現在ある石碑には歌人東溟(1785-1855)が詠んだ和歌が刻まれています。

めくりきて春日かすめる車田に

おり立つ田子のわさものどけし

また、飛騨国の第3代国主 金森重頼(1596-1650)が読んだ和歌も残されています。

見るもうし植うるも苦し車田の

めぐりめぐりて早苗取るかな

継承される技術

  • 第5回飛騨高山フォトコンテスト入賞 撮影:南晃氏
  • 撮影:Studio MOSO
  • 撮影:Studio MOSO

この珍しい車田を後世に伝えようと、高山市松之木町では車田保存協力会を設立し、10余名の会員が活動しています。平成7年に設立され、一時休止期間もありましたが令和元年に活動を再開し、春の田植え(5月)、秋の稲刈り(9月)や耕作の維持管理作業を行っています。

また、高山市の博物館施設「飛騨民俗村 飛騨の里」には復元した車田があり、施設の職員が同様に田を維持管理し、来館者は展示されている合掌造り建築と車田の景色を楽しむことができます。


所在地高山市松之木町1778
田の面積面積 424平方メートル(田の畦周りも含む)
耕作面積 約340平方メートル
収穫量例年約160キログラム前後(モミで乾燥後の重量)
文化財指定昭和35年7月1日 高山市無形文化財に指定
平成14年9月20日 岐阜県無形民俗文化財に指定(風俗慣習)
車田史跡公園平成6年3月31日設立
車田周囲を高山市歴史公園として高山市が整備、維持管理をしている
周辺にはコウボネが咲く池もあり、市民の散策、憩いの場となっている


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2024年 車田の田植え、稲刈り


車田(松之木町)
田植え2024年5月12日(日)
8:30~10:00頃まで
稲刈り例年9月下旬
お問合せ高山市文化財課 0577-32-3333
車田(飛騨の里)
田植え2024年5月18日(土)
10:00~正午頃まで
稲刈り例年9月中旬
お問合せ飛騨の里 0577-34-4711

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