HIDABITO 026 高隆山素玄寺 住職 三塚 泰俊(みつづかたいしゅん)氏

HIDABITO 026 高隆山素玄寺 住職 三塚 泰俊(みつづかたいしゅん)氏

高山の町と文化の礎を築いた金森長近公の菩提寺を守り、人々の心の拠り所であり続ける

どんな仕事も中継ぎの仕事、先代の言菓を胸に行事や慣習を続けることで時代を次へとつないでいく

東山遊歩道という高山の散策スポットをご存知だろうか。古い町並からは歩いて10分ほどの高台に、由緒ある寺社が南北に連なるように建っている。点在する16の寺社を城山公園まで結んだ道が東山遊歩道なのだが、史跡めぐりができる短いコースは特に味わい深い。文化財をめぐるだけでも好奇心が剌激されるところ、春の桜、夏の新緑、秋は紅葉と、季節ごとに変わる路傍の景色にも心がぐっと掴まれるのだ。


高隆山素玄寺は、そんな東山遊歩道にある。




「素玄寺は高山藩主だった金森長近公が亡くなられた後、二代・可重(ありしげ)公が追善で1609年に建立された菩提寺です。寺の名は長近公の法名から付けられています。長近公といえば、信長、秀吉、家康と戦国三大武将に仕えた時代を読む名手であり、初代藩主として高山の町と文化を成熟させた人物です。この寺の境内から町が一望できるんですが、街路の整備をはじめとした町割りは当時のままです。」


三塚泰俊さんは、素玄寺の26代目住職。和やかな語り口調に、気さくな人柄がにじみ出る。




庫裡の書院座敷の奥に広がる景色は、東山の斜面を活かした池泉回遊式庭固。6代107年間に渡って飛騨国を治めた金森家は、茶の湯の文化も町に根づかせたそうだ。菩提寺の庭に、その片鱗を垣間見る。


「城山公園のあるところは長近公の居城跡ですが、城下町を整備する中でその山裾に宗派の異なる寺社を建立、移築しました。素玄寺の曹洞宗、法華寺さんは法華宗、宗猷(そうゆう)寺さんは臨済宗などなど・・・。おそらく、各宗派の中心となる寺を並べ、飛騨全域に様々な知らせがいくようにしたのではないかと、先代の父が話しておりました。長近公は信長が一向一揆で浄土真宗の信徒と長く戦ってきた経験から、民衆の心を掌握するには宗教を上手く取り込まなければという想いが強かったのだと思います。」


こうした寺社を、商家をはじめ町の檀家さんらが長らく支えてきた。三塚住職も、町に育てられて今があると感謝する。


「はじめて袈裟をまとったのは、まだ幼稚固の頃。祖父が亡くなり、父が住職になったときです。小学校2、3年になると、お盆になると近所まわりをしていました。お経をあげ終わると、檀家さんからアイスクリームをいただいたりしてね(笑) 。12歳で正式に仏門に入る得度式を行った際も檀家さんに見ていただいたり、大学卒業後に永平寺へ修行に入るときも見送っていただきました。大きな造り酒屋などは、10軒、20軒と複数の寺の和尚さんがお参りに出入りされていて。金森時代から続いてきたのでしょう、町全体で寺を支える一そういう雰囲気がありますね。立派な町やと思います。」



過疎化が進む地方の多くの寺が、無縁墓地の増加や檀家制度の継続の難しさといった深刻な問題を抱えている。高山でも少子高齢化は身近なところにある。


「その傾向は多少なりとも高山でもあると思います。後継ぎさんが生活の拠点を都心に移され、墓じまいを検討される方もいらっしゃいます。その反面、高山の墓は自分がお守りできる間はやっていく、という方も結構いらっしゃるんです。家族の恒例行事として墓参りがあり、町も満喫して帰る一高山そのものが、心のふるさととして機能しているのではないでしょうか。高山には3世代同居という家族もたくさんあり、今でも法要には子どもから大人まで親族で集まられます。私も月命日を含め、毎月60~70軒の檀家さんのところへお経をあげに行かせていただいておるんです。ご先祖にお参りされることが生活の中に根づいている。こうした慣習は新たに作ろうと思っても作れるものではありませんので、大事にしていきたいです。」


そう語ると、三塚住職は眉間にシワを寄せ「すみません! 」と正座していた足を崩した。笑いが起こり、一瞬で場が和む。そんなお茶目な住職の訪問を心待ちにしてくれる人がいて、その寄付により寺が維持される。時代が移り変わろうとも、意志さえあれば守られていく慣習もあるのだ。



毎年8月9日・10日に山桜神社、松倉観音堂、累玄寺、池本屋、真工藝などで開かれる絵馬市は高山の夏を彩る風物詩。家内安全や商売繁盛を願う縁起物の和紙に描いた絵馬を求め、会場の一つである素玄寺にも大勢の人々が訪れる。


「紙絵馬は年に一度貼り変えるお守りとして、長い間、みなさんの生活に浸透しています。市を開催できるのは手伝ってくれる檀家さんがいてくれてこそですが、こうしたことも続けていくことが大事やなあと。父が生前、『どんな仕事も中継ぎの仕軍やで』とよく言っておりました。中継ぎになるとは、後の方に託していくということです。そのときが来たらしっかりと託せるよう、仏様の教えを心の拠り所にされてみえる方々のお役に立ち続けたいと思います。」


金森長近公の菩提寺の守り人として、金森家の功績を伝えていくことも使命。2024年の金森長近公生誕500年を控え、三塚住職の毎日はますます忙しくなる。


社名高隆山素玄寺
住所岐阜県高山市天性町39
電話0577-32-251



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