飛騨総社
飛騨総社は、平安時代の朱雀天皇の御代(承平年間)に創建されたと伝えられる歴史ある神社です。
飛騨の神々をひとつに祀る「総社」のルーツ
かつて、飛騨の国司(現在の知事のような役割)は、国内にあるすべての神社を巡って参拝する義務がありました。しかし、その負担を軽減し効率的に祭祀を行うため、国府のあったこの地に国内の神々を合わせて祀る「総社」が設けられました。平安時代の「神祇式」という決まりに基づき、国司が儀式を執り行う重要な「斎場」として、この地が選ばれたのです。
歴史の荒波を越えて
鎌倉時代の建長4年には、皇室からお供え物を賜るなど、一時は非常に栄えました。しかし、応仁の乱以降の戦乱期には、社領を奪われ社殿も荒廃するという苦難の時代を過ごします。
その後、江戸時代に入ると高山城主・金森重頼によって再建され、復興の道を歩み始めます。一時期は「総社の森大菩薩宮」と呼ばれ、規模も縮小していましたが、江戸時代後期の国学者・田中大秀がその衰退を惜しみ、『飛騨総社考』を著して再興を提唱。これがきっかけとなり、文政3年には古の姿を彷彿とさせる立派な社殿が再建されました。
現代に受け継がれる威容
明治時代には県社に列せられ、地域の信仰の拠点として再び光を浴びました。現在の本殿は昭和5年に造営されたもので、飛騨の歴史と人々の崇敬の念を今に伝えています。
基本情報
- 所在地
- 岐阜県高山市神田町2-114
















