【見学体験レポ】「飛騨高山まちの博物館」を徹底解説!学芸員さんから聞いた展示の見どころ&高山観光が10倍楽しくなる歴史余話

飛騨高山のシンボル・古い町並。そこから歩いてすぐの場所に『飛騨高山まちの博物館』 があります。

高山の豪商の土蔵を活用して建てられたこの施設は、なんと【入館無料】なんです。

「充実した展示内容なのに、なぜ無料で見学できるの?」そんな素朴な疑問を抱えながら、今回は特別に学芸員さんに館内を案内していただきました。

この記事では、学芸員さんに教わった展示の見どころや、初めて知る歴史の裏話など、高山観光が10倍楽しくなる情報をたっぷりお届けします。

111ビュー
   【見学体験レポ】「飛騨高山まちの博物館」を徹底解説!学芸員さんから聞いた展示の見どころ&高山観光が10倍楽しくなる歴史余話

「飛騨高山まちの博物館」の基本情報(アクセス・施設の歴史・館内図)

まず最初に、施設の概要について解説します!

▲飛騨高山まちの博物館の正面入口。大きな門と門前の井戸が目印です。 

◆場所

「飛騨高山まちの博物館」(通称「まち博」)は、高山駅から東へ徒歩で15〜20分の所にある施設で、古い町並(上三之町)からも近く、市内観光をしながら気軽に立ち寄ることができます。



◆施設の歴史と概要

この博物館の前身は「高山市郷土館」です。

高山の豪商・永田家の屋敷跡を利用し、1953年(昭和28年)に開館しました。


開館のきっかけは、終戦直後の混乱期に各地で文化財や民俗資料の破壊・流出が相次いだことから、市民の間より「文化財保護施設の建設」の声があがったことによります。

その後、地域の人々の協力のもと、旧永田邸があったこの場所(現在のまち博の南側半分)に郷土館が整備されました。


以降、飛騨高山の町人文化の歴史を紹介する施設として、観光客はもとより市民からも長く愛されてきました。


▲「高山市郷土館」時代の前庭と表門。今も「飛騨高山まちの博物館」の南側に残っています。(この門は現在は通れません) 

やがて2008年(平成20年)、国が「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」(歴史まちづくり法)を施行したのに伴い、高山市は「高山市歴史的風致維持向上計画」を策定。翌2009年(平成21年)に国の認定を受けました。


高山市は、これらの計画に基づき、当時、郷土館(旧永田家)の北隣にあった豪商・旧矢嶋邸の跡地整備事業を行います。


そして2011年(平成23年)4月、永田家と矢嶋家の土蔵を活用する形で、「飛騨高山まちの博物館」がリニューアルオープンしました。


▲飛騨高山まちの博物館の正門横にある標柱。かつてここに矢嶋家邸宅があったことを示しています。  当館は、ほぼ年中無休で開館しており(臨時休館あり)、旧家の蔵を利用した常設展示室では、高山の歴史や伝統行事、高山ゆかりの美術品や伝統工芸品などを展示しています。また、新しく建てられた研修棟では、高山の歴史に関係した特別展が開催されています。


また、展示だけでなく、高山市の歴史民俗資料の保存・活用の中心施設として、さらには郷土教育や伝統文化の継承の場としても活用されています。


飛騨高山まちの博物館は、今年(2026年)で15周年を迎えました。観光客だけでなく、市民の見学や利用も多く、地元の人々から親しまれています。



◆館内図

現存している土蔵を展示室として利用しているため、それぞれの蔵(展示室)を順番に回って見学する形となっています。


展示室は全部で15室(常設展示室14室・特別展示室1室)あり、下の図の①~⑭の順路に従って回ります。


すべてをじっくり見学すると約2時間ほどかかりますが、興味のある展示室だけをピンポイントで見学することもできます。


▲施設1階と敷地内の様子 

▲施設2階の様子
(「飛騨高山まちの博物館」パンフレットより引用)
 



そして、この博物館の特徴として、入場口が3つあります。


1つ目は、正面入口にある「正門」です。上一之町の通りに面しています。

▲正門の中はこんな感じです。右手に「受付」(管理棟)があり、左は「まちの情報発信コーナー」になっています。

2つ目は、えび坂から直接入ることができる「えび坂門」です。

▲えび坂門。門をくぐると博物館の中庭に入ります。 

▲えび坂門は、えび坂の道路からちょっと奥に入った所にあります。 

3つ目は、高山市図書館方面から入ることができる「空町門」です。

(※冬季は雪のため閉鎖しています)

▲取材時(1月)はご覧の通り閉鎖されていましたが、春夏秋は開門しています。門の先は階段になっており、階段をを下りると博物館の裏手に出ます。 

高山市図書館(煥章館 )正門前の通り、カフェWA・SA・BI(ワサビ)さんの横にある路地に入って、少し奥に進むと、空町門があります。

【突撃インタビュー】学芸員さんが語る、入館無料に込められた「飛騨高山まちの博物館」が目指す役割

「ここは観光のゴールではなく、スタート地点」 これからの高山観光と『まちの博物館』の位置づけについて、学芸員さんからお聞きしました。

以前から「飛騨高山まちの博物館」を訪れるたびに、価値のある素晴らしい展示内容なのに、どうして無料なのだろう?と、ずっと不思議に感じていました。


最近は、日本人だけでなく、高山の歴史や伝統文化に興味を持つインバウンド客も多く見学に訪れていますが、現在も入館無料を貫いています。


そこで、その理由について、飛騨高山まちの博物館の学芸員・大石崇史さんにお話をうかがいました。


▲左が大石さんです。高山市役所・文化財課の職員で、飛騨高山まちの博物館の学芸員も務めていらっしゃいます。右は筆者。

シモハタエミコ
本日はよろしくお願いします。
この博物館は、真ん中に庭があり、展示室がそれぞれ別の建物に分かれていて、他の博物館とは異なる雰囲気の施設ですね。
シモハタエミコ
大石さん
はい。昔の土蔵を展示室として使っているので、このようなちょっと変わった作りになっています。
また、当館は前身の「郷土館」の時代から、展示を通して高山の歴史文化をご紹介してきましたが、「まちの博物館」になってからは、見学だけでなく「周遊の拠点」という位置づけもしています。
大石さん
シモハタエミコ
「周遊の拠点」とは、どういうことなのでしょうか?もう少し詳しく教えてください。
シモハタエミコ
大石さん
はい。今まで「飛騨高山」というと「古い町並」が観光の中心でした。
しかし市内には、三町以外にも、例えば東山寺院群や城山など、魅力的なスポットがたくさんあります。
そこで、他の場所にも足を運んでもらうために、高山を訪れたら、まず最初に当館で飛騨高山の歴史や文化をざっくりと学ばれてから、ここを周遊の拠点として、他のいろいろな場所を巡っていただきたい…と考えています。
そういう意味で「周遊の拠点」という位置づけをしました。
大石さん
シモハタエミコ
確かに、ここは「えび坂」のすぐ横で、立地的に「古い町並」にも近く、他の観光スポットに行きやすい、とても便利な場所ですよね。
また、ここの展示を見れば、高山の歴史文化だけでなく、高山ゆかりの美術や伝統工芸などにも触れられますし、市内観光の予習にピッタリです。
シモハタエミコ
大石さん
そのため当館は入口が3か所あるんですよ。
正面の「正門」、南側のえび坂とつながっている「えび坂門」、裏側の高山市図書館方面とつながっている「空町門」と、3つの入口があり、当館から各方面にそのまま抜けて行けるようになっています。
見学後に「ここへ行ってみようか」「あそこ行ってみたいね」という感じで、当館を拠点にして観光に出かけていただけたらと思います。
大石さん
シモハタエミコ
古い町並へ行きたい時は正門、城山公園に行きたい場合はえび坂門、空町を散策したい場合は空町門(※空町門は冬季間は閉鎖)と、三方に出入り口があるというのは、観光客だけでなく市民にも便利ですね。
シモハタエミコ
大石さん
市民の皆さまには、通り道として使っていただいても良いと思っています。気軽に通られることで、当館に親しみを感じていただければ幸いです。
また、入館を有料にしてお金をいただくと、ここが目的地になり周遊が完結してしまうので、そうではなく、当館は「観光や散策のゴールではなく、スタート地点ですよ」という想いをこめて、無料にさせていただいています。
大石さん
シモハタエミコ
なるほど。まちの博物館を見学し、ここで知った知識をもとに市街地を散策して回ったり、または、ここで新たに見つけた興味あるスポットへ出かけてもらうための「情報提供の場」という意味合いもあるのですね。
あえて無料とされている意味が、よくわかりました。
シモハタエミコ
大石さん
観光でお越しの皆様には、まず当館にお立ち寄りになり、ここで高山の歴史文化について予備知識を得てから、市内を周遊されると、より充実した観光になると思います。
ぜひ多くの方にご活用いただきたいです。
大石さん

学芸員さんの案内で巡る「飛騨高山まちの博物館」見学レポート① 飛騨高山の基礎・基本

これより、学芸員の大石さんの案内で、各展示室を見学します。
まず最初に、飛騨高山の基礎知識が学べる5つの展示室をご紹介します。「時間がなくて全部見るのは無理!」という方は、この5室を押さえておけばOKです。

【見学の前に確認!注意事項】

⑴ 敷地内は禁煙です。
⑵ 展示室での飲食はご遠慮ください。
⑶ 展示物の撮影はご遠慮ください。

※ただし今回は取材のため、特別に撮影および記事掲載の許可をいただいています。


▲まずは矢島家西蔵へ。ここは、車いすでも入室できるよう、入口の高さに合わせて通路が設置されています。

①矢嶋西蔵「まち博へようこそ」

この展示室では、まちの博物館の由来と、昔この場所にお屋敷があったという永田家と矢嶋家に関する資料が展示されています。


 ▲永田家に伝わる文書。江戸時代のものです。

飛騨地方では昔から、代々続く商家や地主で、裕福な家のことを「旦那様(だんなさま)」と呼んでおり、今でも地元の昭和世代は「あそこの家は旦那様やでなぁ」という言い回しで使っています。


その中でも特に、豪商といわれる旦那様は「大旦那様(おおだんなさま)」と呼ばれ、格式の高い家柄でした。


そんな大旦那様であった永田家と矢嶋家にまつわる貴重な展示物が、ここで見学できます。

▲矢島家の住宅古絵図。江戸時代末期の矢嶋家邸宅の間取りが描かれています。

「この矢嶋家の玄関のところを見てください。通り(道路)に面して塀があり、門をくぐって前庭の敷石を通って、玄関がありますよね。」と大石さん。


はい。確かにそうなっていますね。


「でも、現在の『古い町並』の町家を思い浮かべていただくと、こういう形ではなく、通り(道路)に面してすぐ家の玄関になっています。」

▲古い町並・上三之町の様子(画像提供・飛騨高山観光コンベンション協会HP)

あっ!言われてみれば、そうですね!


「つまり、豪商で町年寄を勤めている矢嶋家は、より格式が高くなり、道と玄関が接していなくて、その間に前庭がある造りだったんです。」


▲上の絵図を拡大してみました。確かに、古い町並のシンプルな玄関先とは異なり、矢嶋家には玄関アプローチがあります。

こうして見ると、矢嶋家の邸宅は、板塀や門があり、町人屋敷というより武家屋敷のような家構えです。


矢嶋家は、金森長近が高山に城下町を築く際に、近江から移り住んだという元は武家の家柄で、その後、高山を代表する豪商となり、長く町年寄を勤め続けた名家です。


同じ町人であっても、格によって家の造りにこんな違いがあったのか!と、今さらながら驚きました。


さらに大石さんの解説は続きます。


「この博物館の前身は『高山市郷土館』で、永田家の屋敷跡を活用してつくられました。永田家の屋号は『大坂屋』といい、永田家の跡取りは代々「吉右衛門」を襲名していました。」


▲永田家の表門。現在も、まちの博物館正面入口の南側に残る大正時代の門塀。 

郷土館時代には、この永田家の表門が施設の入口として使われていました。
門塀は大正時代につくられたもので、土塀の黄色みがかった壁土には、京都・鞍馬山から取り寄せた土が使われています。耐火性に優れ、防火を目的とした工夫だったそうです。


「永田家といえば、ここから裏手の『えび坂駐車場』あたりまでが、かつて永田家の敷地だったんです。現在えび坂駐車場になっている場所には、永田家の茶室がありました。その茶室は、富山県富山市が寄付を受け、今では富山城内にある本丸亭の一部として復元されています」と大石さん。


▲2025年秋のえび坂。右手の石垣・白壁の塀の所に「えび坂駐車場」があります。

ここで思わず「えび坂駐車場の、あの白壁の塀は、もしかして永田家のものだったんですか?」と前のめりで質問しましたが、「いやー、あれは当時のものとは変わっていると思いますよ」とのこと。


そうでしたか。でも、えび坂北側の石垣と塀、そして塀から少し顔を出す枝葉の風景は、とても風情があり、私の好きな高山の風景のひとつです。


えび坂駐車場のあたりまで、大坂屋吉右衛門(永田家)のお屋敷があったのだなぁ……と思うと、なんとも感慨深いですね。


▲矢嶋西蔵を出て、次はお隣の矢嶋文庫蔵に入ります。

②矢嶋文庫蔵「高山祭」

この展示室では、高山祭にまつわる資料が展示されています。


▲「こちらは矢嶋家の文庫蔵です。文庫蔵では大事な文書などを保存するため、良い材木が使われており、しっかりした造りになっています。」と大石さん。

高山祭といえば、春の高山祭(山王祭)と、秋の高山祭(八幡祭)ですよね。


「高山祭に関する記録ですが、江戸時代中期に、飛騨国の領主・金森家が転封によって国替えとなり、その後、金沢の前田家(加賀藩)がこの地を一時的に管理します。その際、前田家は統治のために、高山のさまざまな状況を報告させていました。

その報告書(金森家の家臣だった人物からの聞き書き)の中に、『山王祭があった』という記述が残されているんです。これが、現在確認できる最も古い高山祭の記録になります。」


金森時代に始まったといわれる高山祭。やがて天領時代になると、「屋台」が登場するようになります。


▲「高山山王祭礼行列絵巻」文化年間(1804~1818年)に描かれたものと言われています。昔の屋台は、今の屋台とちょっと違うようです。

この絵巻に描かれた屋台を見ると、本体が下段・中段・上段の三段構造になっているものが多いことがわかります。


また、色彩豊かな美しい幕(まく)で覆われているのも特徴です。


「この絵巻を見ると、飾りつけのコンセプトが今とは違っていたことがわかります。この頃は、今のように彫刻や見送り幕などの豪華絢爛な装飾で魅せるのではなく、色彩豊かな美しい幕で屋台全体を覆うことが『飾りつけ』だったようです」と大石さん。


さらに、屋台の屋根の形も、現在とは少し異なっているようです。


「この絵巻に描かれている屋台は、ほとんどが『唐破風(からはふ)』屋根です。少数ですが『切妻(きりづま)』屋根の屋台もあります。昔は唐破風屋根が主流だったんですね。ところが現在の屋台はその逆で、切妻屋根がほとんど。唐破風屋根は、秋祭りの『仙人台』のみとなっています」


▲上の絵巻を拡大してみました。右の屋台が「唐破風」屋根です。屋根の中央は丸みを帯びていて、屋根の両端がくるりと反り返っています。一方、左の屋台は「切妻」屋根です。

唐破風屋根の「仙人台」は、こちらの記事で確認できます。

『【永久保存版】秋の高山祭をもっと知る 歴史と見どころをご紹介』(飛騨高山観光コンベンション協会HP)


高山祭を見物する時は、屋台の屋根の形にも注目ですね!



③矢嶋塩蔵「高山の町並と飛騨匠」

この展示室では、高山の町家と寺院の紹介、さらに「飛騨の匠」の技について展示しています。


▲展示室の様子

ここで大石さんから、高山の町家の特徴について解説していただきました。


「高山の町家の特徴は、建物が敷地の一番表まで建てられていて、隣家との間を分けずに建物が連なっている点です。さらに、家の奥まで『通り土間』が通っており、内部には大きな『吹き抜け』があります。

土間と、その隣の列にある部屋との仕切りが上部まで設けられていない構造のため、空間全体が吹き抜けとなり、非常に開放的です。これが一つ目の特徴です」


吉島家住宅の内部。吹き抜けが大きくて開放的です。(画像提供・飛騨高山観光コンベンション協会HP)

「二つ目の特徴は、家の奥の方に土蔵がある点です。土蔵が連なって建っているため、それが防火帯の役割を果たしています。」


「三つ目の特徴は、家の表側(玄関側)です。高山の町家は、1階と2階の壁のラインがそろっているんです。他所では1階部分が前に張り出し、上に手すりが付いていることもありますが、高山の町家は段差がほとんどなく、1階と2階の壁の線がきれいにそろっています。」


▲吉島邸の外観。確かに1階と2階の壁がそろっています。(画像提供・飛騨高山観光コンベンション協会HP)

「四つ目の特徴は、『袖壁(そでかべ)』がない点です。また、岐阜県美濃地方でよく見られる『うだつ』も、高山の町家にはほとんどありません。これらは、外観から見て他所との違いが分かる、高山ならではの特徴です。」


▲こちらは「宮地家住宅」の模型です。「これを見ると、袖壁がついてないですよね」と大石さん。

今まで意識していませんでしたが、改めて古い町並みの家々を思い起こしてみると、「確かにそうだ!」とうなずくことばかりでした。


このほか、飛騨匠(ひだのたくみ)に関する資料も展示されています。


▲「飛騨匠物語」がありました!これは江戸時代に書かれた物語で、飛騨匠が主人公です。筆者は、大河べらぼうで、ピース又吉さんが演じていた狂歌師・宿屋飯盛。挿絵は葛飾北斎が描きました。

飛騨匠と「高山の日本遺産」については、こちらの記事をご参照ください!

『【高山の日本遺産】飛騨国府に残る中世・室町時代の建造物、その魅力を探る!高山市国府町/飛騨安国寺と3社2寺を巡る歴史散策』(市民ライター記事・シモハタエミコ)


この展示室は、建築物が好きな方に超おススメです。

ここでバッチリ予習をしてから古い町並を散策すれば、きっと面白い発見ができると思いますよ。



④矢嶋北蔵(1階)「城下町高山」

この展示室では、金森家が築いた高山城と高山の城下町の歴史に関する資料が展示されています。


▲展示室の様子。中央手前にあるのは「高山城VR」です。その奥には高山城の模型が展示されています。

現在の高山の町並みは、高山城城主・金森家によってつくられました。


初代・金森長近の時代から商業や経済を重視した町づくりが行われ、その後、飛騨国が江戸幕府の直轄地となってからは、高山の町は政治・経済・文化の中心地として、さらに成熟していきます。


館内では、こうした高山の町の成り立ちや歴史を、わかりやすく学ぶことができます。


▲「高山城本丸図」

まず最初に、高山城の図について、大石さんが解説してくださいました。


「本来、お城の図面は機密情報なので、図にして残すことはほとんどありません。しかし高山城は、金森家転封の後、金沢の前田家(加賀藩)が管理を行ったため、管理上どうしても必要となり、前田家が図を作らせたんですね。そのおかげで、今こうして、図から当時どのようなお城だったのかを知ることができます。」


▲「高山城本丸」復元模型(縮尺1/30)。金森長近が16年の歳月をかけて築いたという名城で、中には茶室もありました。瓦は雪で割れるため、屋根は全て板葺きです。「現存していたら、間違いなく国宝ですね」と大石さん。

「しかし、あまりにも立派すぎる城だったため、維持管理の負担が大きく、加賀藩は幕府に破却を願い出ます。その結果、高山城は取り壊されてしまいました。現在は城山公園に、その名残を見て感じることができます。」


維持管理が大変で取り壊しとは……。

うーん、これ、なんだか現代にも通じる話ですね。


さて、こちらは幕府直轄地となった頃の高山の絵図です。このほかにも、高山の町並みを描いた絵図が多数展示されています。

▲「飛騨国高山町絵図」これを見ると、武家屋敷があった辺り(現・空町)は畑だったことがわかります。道や町の様子は、現代とほぼ同じです。ちなみに、右斜め上へと延びている道は、江戸街道です。


と、ここで大石さんが「こちらを見てください」と、橋の擬宝珠(ぎぼし)を指さしました。

中橋の擬宝珠。これと同じものが、中橋の陣屋側の橋柱に取り付けられています。

「この擬宝珠は、製造年銘を見ると『天文5年』と刻まれています。天文5年は西暦だと1536年、金森時代以前のかなり古いものです。実はこれ、日本の橋につけられた擬宝珠の中では、全国最古ではないかと言われています。」とのこと。

中橋の擬宝珠については、こちらの記事でご紹介しましたが、まさか日本最古だったとは驚きました!

『江戸時代の高山を歩こう!天領時代の飛騨高山を深掘りする歴史散歩 with 飛騨関連資料botさん』(市民ライター記事・シモハタエミコ)


高山散策の折には、中橋で、橋に取り付けられているものとしては日本最古と言われるこの擬宝珠を、ぜひ見つけてみてください!


最後に『高山城VR』をご紹介します。

令和3年4月より公開されたバーチャルリアリティーで、コントローラーを操作することで、モニター上で様々な視点から高山城を見て楽しむことができます。


▲高山城VRにチャレンジする大石さん。「私は普段ゲームはやらないので…(恐縮気味)。あれ?あれれ?」入口がわからず苦戦されていました(笑)

それでは、矢嶋北蔵の④展示室を出て、次に矢嶋北蔵の2階へと向かいます!

▲外に出たら、目の前のこの入口から研修棟の中に入ります。階段(エレベーター有り)を上がったところに、⑤矢嶋北蔵(2階)の入口があります。

▲こちらが矢嶋北蔵(2階)展示室の入口です。

⑤矢嶋北蔵(2階)「金森家六代」

この展示室では、高山の基礎を築いた金森家6代に関する資料が展示されています。


▲金森家6代の縁(ゆかり)の品々が展示されています。

今年(2026年)の大河ドラマ『豊臣兄弟』は戦国時代が舞台ですが、初代金森長近と二代目の可重は、まさに戦乱の世を生き抜いた戦国武将です。長近は、信長・秀吉・家康に仕え、関ケ原の合戦には、70代後半という高齢でありながら東軍として参戦しています。


▲金森長近・可重が出陣した戦に関する資料も、数多く展示されています。

戦の記録の他に、金森家がこよなく愛した茶文化に関する資料もあります。


金森家は「茶道」に通じた家系で、初代の長近は、千利休門下の茶人でした。その孫の金森重近は、戦国の世の諸事情により京都に隠棲しますが、そこで茶を極めて「宗和」と号し、茶道宗和流を興しました。


▲このコーナーには金森宗和の肖像画や書状、茶杓(ちゃしゃく)などが集められています。

数々の戦を戦い抜いた武将であり、また茶に親しむ文化人でもあった金森長近。長近をはじめとする金森家6代の治世の名残が、今も高山の古い町並のあちこちに残っています。




さて、ここまでが、高山の歴史文化をギューと濃縮してご紹介している5つの展示室(①~⑤)です。いかがでしたか。

各テーマごとに、かなりコンパクトにまとめられていますが、見ごたえは充分です!

シモハタエミコ
以上、5つの展示室をすべて順番に回った場合、見学時間は約40分〜1時間です。
次は、高山の文化や民俗、美術・学問・文芸・火消しの歴史に関する展示を見ていきます!
シモハタエミコ

学芸員さんの案内で巡る「飛騨高山まちの博物館」見学レポート② 町人の暮らしと文化

ここから先は、高山の伝統文化や美術品、町人の暮らしや学問・文芸に関する展示コーナーです。興味がある分野の展示室を、ピンポイントに見学するのもOKです!

それでは引き続き、大石さんの案内で展示室を順番に回ります。


⑥矢嶋文庫蔵(2階)「高山の歴史文化の映像配信」

江名子バンドリ」など、アーカイブ映像を配信しているコーナーです。※現在はお休み中です。


取材時は、地元の中学生がデザインして作成した「高山の名所カード」が置いてありました。

▲地元の小中学生の郷土学習に、このまち博が活用されていることがわかります。

⑦矢嶋西蔵(2階)「伝統行事」

この展示室では、高山の民俗や伝統行事に関する資料を展示しています。


▲展示室の中の様子。昭和生まれの高山市民には懐かしい、昔の高山の写真が展示されています。

「明治生まれの高山出身の詩人・福田夕咲(ふくだゆうさく)が書いた『山都年中行事』という本を参考にしながら、高山の年中行事の様子をご紹介しています。」と大石さん。


また、この展示室では、春から初夏にかけて期間限定で「雛人形」と「五月人形」を展示しています。(高山の節句は1か月遅れのため、桃の節句は4月3日、端午の節句は6月5日に行われます)


それぞれの期間中に、高山の旧家から寄贈された豪華な人形をご覧いただけます。

さらに、これに合わせてスタンプラリーも開催されますので、ぜひご見学&ご参加ください!


◆飛騨高山 雛まつり(3月1日~4月3日)

  土雛や代々伝わる雛人形を市内各地で展示します。


◆飛騨高山 端午の節句(5月1日~6月6日)

  市内の各地で五月人形や鯉のぼりを展示します。


▲2025年春の「飛騨高山 雛まつり」の展示の様子。高山の旧家・土川家から寄贈された御殿飾りの雛人形が展示されます。

⑧美術展示室(管理棟2階)「美術」

この展示室では、1年間の会期で、高山に縁(ゆかり)のある作家の美術作品を展示する企画展が催されます。


現在(2026年2月)は、『屏風のトリセツ 飛騨の絵師が描く暮らしのキャンパス』が開催中です。(令和7年11月3日~令和8年10月下旬まで)

▲前期・後期で作品が一部入れ替わります。こちらは前期(令和7年11月3日~令和4年4月30日)の展示です。

「屏風はもともとは家具だったんですよね。」と大石さん。時代の流れと共に、家具から美術品へと変遷していく過程を、丁寧に教えていただきました。


美しい絵が描かれている豪華な屏風の他に、三之町の町家で実際に使われていた枕屏風も展示されていました。


後ほどご紹介する特別展と同様、こちらの美術展も楽しみにしている市民が多いです。観光客の皆様にもおススメです。



さて、美術展示室を見学した後は、屋内通路を通って、いよいよ永田家エリアに入ります。

▲ここから永田文庫蔵に入ります。(冬季間、2階の通路はシートで覆われます)

⑨永田文庫蔵(2階)「信仰」

この展示室では、信仰をテーマに、高山市内に現存する「円空仏」の一部が保管・展示されています。


▲展示室の様子

円空は、美濃国生まれの僧で(1632年~1695年)、諸国を巡り、多くの仏像を彫り続けてきました。ここ飛騨地方にも円空は度々訪れ、寺社や農家に滞在しながら仏像を彫っています。飛騨人からは「円空さま」と慕われ、円空が残した仏像は各集落で大切に守り伝えられてきました。


▲『円空作 柿本人麻呂像』大石さんの好きな像だそうです。「なんかこう、すごく荒削りなんですけど、表情があっていいですよね」と大石さん。

▲円空さまの稲荷像。なんとも特徴的で可愛らしいです。

円空の像は、荒削りで素朴ながらも、慈愛に満ちた温かさにあふれています。


「円空仏は、正面から見ると重量感や厚みを感じるのですが、横から見るとペラペラした感じで意外と薄いんです。(搬出などの作業で)初めて円空仏を運んだとき、見た目と実物とのギャップに驚きました」と大石さん。


この展示室では、横からのアングルでも鑑賞することができるので、ぜひじっくり観察してみてください。


「ちなみに、円空ファンの方の中には、当館に立ち寄ってこの展示室だけを見て、さっと次に千光寺へ向かわれる方も結構いらっしゃいます」とのこと。


お目当ての展示だけをピンポイントで楽しめるのも、この博物館ならではの魅力ですね。



⑩永田米蔵(2階)「町人の暮らし」

この展示室では、高山の町人が実際に使っていた、さまざまな生活道具が展示されています。


▲展示室の中の様子

飛騨民俗村(飛騨の里)には、農民が使った民具がたくさん展示されていますが、こちらは町人の生活用具を展示しています。」と大石さん。


▲農民の暮らし道具と比べると、町人の道具には当時の贅沢品もあり、裕福さを感じます。

⑪永田酒蔵(2階)「学問・文芸」

ここでは、学問・文芸の分野で活躍した高山の町人(学者)や地役人について紹介しています。また、高山に縁のある近代の偉人・山岡鉄舟、広瀬武夫などに関する品々も展示されています。


▲永田酒蔵2階の展示コーナー

この蔵に入って早々、開放感を感じました。今までの展示室と違ってとても広いです。


大石さん曰く「この酒蔵は、高山の蔵の中で最も大きなものの一つです」とのこと。


中央の梁(はり)を見ると、永田家がここでお酒を造っていた時に使われていたという滑車が、今も残っていました。

▲天井の大きな梁に取り付けられた滑車。よく見ると滑車は木製でした。

さて、この展示コーナーには、江戸時代の高山の国学者・田中大秀に関する資料もありました。


▲田中大秀直筆の書簡。その筆跡は、流れるような美しい仮名の手です。

田中大秀については、こちらの記事の「荏名神社」の段でご紹介しています。

『【高山歴史散策】江名子町を歩く・東山遊歩道の隠れスポットを探索』(市民ライター記事・シモハタエミコ)


「昨年、特別展示で『橋』をテーマにした展覧会を催したのですが、準備の段階でいろいろ調べていくなかで、(「田中大秀」ではなく、「橋」がテーマのはずなのに…)なぜか大秀がいろいろ出てくるんですよ。彼が設計に携わった荏名神社の神橋は、市の文化財に指定されていますが、石の橋であの形をしたものは、飛騨ではほとんどないですね。」と大石さん。

田中大秀は、高山を代表する学者であり、また、マルチな才能を生かし当時の町人カルチャーを牽引してきた人物でもありました。


その他、天領時代の高山は、学術・文芸の分野において個性豊かで傑出した人物を輩出しています。ぜひ、このコーナーで触れてみてください。


それでは階段を下りて、次の展示コーナーへと進みます。



⑫永田酒蔵(1階)「大火と防災」

ここには、高山を火災から守った「火消し組(ひけしぐみ)」の資料や防災の歴史について展示しています。


▲高山の各火消み組の纏(まとい)。実物を見ると、意外と大きくて圧倒されます。

高山の火消組は、天領時代に郡代の命によって創設されました。高山町内の火消し組は、全部で10組あったそうです。


「明治時代の始め、火消し組の数が多すぎるから少なくするように…と、県から通達があったようですが、『高山ではこれが必要なんだ』と言い返し、そのまま通したという話が残っています。」と大石さん。


昔、高山では町の中心地が焼失するような大きな火災がよく発生し、火事はとても恐ろしいものでした。


そのため、市街地では町ごとに秋葉様(火伏せの神様)が祀られており、火消し組は、高山の町並みと人々の命を火災から守る大切な存在でした。


現在もその流れを受け継ぎ、毎年1月5日には「出初式(でぞめしき)」が開催されます。市内の消防団が集結し、江戸時代から続く伝統の特殊訓練「駆け込み」「舞い込み」「巻き込み」などを披露します。


▲火消し組の法被(はっぴ)。厚みがあり丈夫な作りになっています。火災の際には、この法被ごと水をかぶって消火活動に加わったそうです。

大石さん曰く「この法被、表はご覧の通り地味ですが、裏地には華美で派手な刺繍が施されています。この法被を着て消火活動をして、無事火消しを終えると、さっと法被を裏返して派手な方を表にして着直し、颯爽と帰って行ったそうです。」


おぉー!この様子を頭の中でイメージしたら、「いなせだねー、粋(いき)だねぇ!」という江戸言葉がパっと思い浮かびました。


ちなみに、天領時代の高山に関する資料は、『高山陣屋』にも展示されています。ぜひ、まち博と合わせてご見学ください!


▲展示コーナーの片隅に祀られている秋葉様




永田米蔵を出ると、こんな素敵なコーナーがありました。


▲椅子に座って、ゆったり庭を眺めることができます。この庭は、郷土館時代からある前庭です。

ここで、ひと休みするのもよさそうですね。

シモハタエミコ
以上、7つの展示室(⑥~⑫)をすべて回ると、見学時間は約40分~1時間ほどです。
時間が限られている場合は、お目当ての展示室を選んで、そこだけ見学することも可能です。
次は、高山の伝統工芸と産業を紹介する展示コーナーへ進みます!
シモハタエミコ

学芸員さんの案内で巡る「飛騨高山まちの博物館」見学レポート③ 高山の技術と産業

次は、高山の伝統工芸と産業について紹介する展示室です。市街地の土産物店で見かける「飛騨春慶」などの工芸品も、ここでピックアップされていますので、お土産品の目利きの参考にしてみてください。

永田米蔵(1階)を出て、館内を右方に進むと、次の展示室の入口が見えてきます。



⑬永田米蔵(1階)「伝統工芸」

この展示室では、飛騨を代表する伝統工芸品「飛騨春慶」「一位一刀彫」「焼き物(小糸焼渋草焼・山田焼など)」についてご紹介しています。また、昔の名工の作品だけでなく、現代の作家の作品も展示しています。


▲展示室の様子。「飛騨春慶」と「一位一刀彫」は、「日本遺産 飛騨匠の技・こころー木とともに、今に引き継ぐ千三百年」の構成文化財に認定されています。

高山で(食品以外の)お土産品といえば、「さるぼぼ」や「宮傘」などの民具、木工製品を思い浮かべられるかもしれませんが、古くから伝わる伝統工芸品も、高山土産にピッタリです。


見た目も美しく上品な上に、品質も良く、一生ものです。地元では、飛騨春慶の品を、改まった場での大切な方へのお贈り物として遣(つ)かうことが多々あります。


高山観光の記念に、あるいは自分へのご褒美に、お一ついかかでしょうか。


▲飛騨春慶

▲一位一刀彫のコーナーには、江戸時代の一刀彫の名工・松田亮長(まつだすけなが)の根付が展示されていました。

▲高山を代表する焼き物「渋草焼」「山田焼」「小糸焼」が紹介されています。

「地元の小学生が『郷土学習』の授業で当館を訪れるのですが、この展示室を案内したとき、子どもたちが河童の一刀彫を見て『ミイラだー!』と大騒ぎしたんですよ。小学生の目にはそう映るんだなぁ…と。子どもの感性に驚かされました」と、ほほ笑む大石さん。


言われてみれば、確かにそう見えますね(笑)。※実物は、ぜひ来館してご覧ください。


高山の子どもたちは、この町で四季折々の美しい風景を見て育ち、高山祭の屋台を間近で見て、家では祖父母や親が日常的に飛騨の生活道具(民芸品や工芸品など)を使っている様子を見ながら成長します。日々、「伝統の技と美」に触れているんですよね。


よく考えてみると、とても贅沢なことです。私自身も、この恵まれた環境で生まれ育ったことのありがたさを、大人になった今、しみじみと実感しています。


子どもたちの「まち博」見学も、まさにその一つ。こうして地元の博物館に足を運び、「感性を磨く」機会があることの大切さを、改めて感じました。


それでは、いったん建物の外に出て、次の展示室へと向かいましょう。


⑭永田文庫蔵(1階)「産業

この展示室では、高山の経済を支えた産業に関する資料が紹介されています。


▲展示室の様子

珍しいところで、今はもう作り手がいなくなり絶えてしまった「飛騨紬(ひだつむぎ)」について、紹介するコーナーがありました。

▲飛騨紬。この柄の座布団、昔、子どもだったころ(昭和時代)に、見たことあるような気がします。

大石さん曰く「飛騨紬は、昔は結構有名だったようです。かつては各家庭で個々に織られていましたが、今はもう作る人がいなくなって見られなくなりました。」とのこと。


今はまぼろしの織物だそうです。


飛騨国の林業に関する資料もありました。

▲天領となった飛騨国の山林の木材は、江戸幕府の「御用木(ごようぼく)」となりました。当時の林業の様子が紹介されています。

江戸時代の杣人(そまびと・木材を切り出す仕事をする人)が暮らしていた地域とその文化については、こちらの記事で触れています。

【江戸街道をゆく】朝日町・高根町の旧街道を深掘りする歴史探訪 with 飛騨関連資料botさん(市民ライター記事・シモハタエミコ)



それにしても、この蔵の梁(はり)の立派なこと!

「文庫蔵なので、やはり良い材質の木材をふんだんに使っていますよね。今、これだけの材を手に入れようと思ったら、なかなか無いと思います。」と大石さん。


▲大木を一本まるごと梁に使っています。なんとも贅沢な造りです。

▲永田文庫蔵の説明書き。室内に陳列された資料だけでなく、展示室の建物(蔵)そのものも、貴重な歴史的資料なのですね。ぜひ蔵の本体もじっくりご鑑賞ください。



最後に、⑭展示室を出たところで、大石さんに矢嶋家と永田家の境界線を教えていただきました。


▲「ここまでが矢嶋家で、私の背後が永田家になります」と大石さん。写真左端のガラス灯が境界線の目印です。(ガラス灯の奥に、⑭展示室「永田文庫蔵」の入口が見えます)


▲矢嶋家と永田家の間に「ガラス灯小路」があります。えび坂門がある中庭方面に抜けることができます。(※冬期間は通行禁止)


「冬季は凍結や雪の心配があるため閉鎖していますが、春から秋にかけての期間は、ガラス灯にあかりが灯り、とてもきれいですよ。」とのこと。


ガラス灯小路の夜の風景、いつか是非、見てみたいですね!




これにて14の展示室、全て見学しました!これであなたも飛騨高山の歴史文化ツウですよ。



シモハタエミコ
14の展示室をすべて見学した場合、目安としては約2時間ほどかかりますが、時間をかけて一つひとつ丁寧に見て回ると、2時間は優に超えてしまうと思います。
一度の見学ですべてを見切るのはなかなか難しく、見落としてしまう展示もあるはず。そんなときは、次回高山を訪れた際に「まち博」を再訪し、コンプリートを目指すのも一つの楽しみ方です。
シモハタエミコ

特別展について

夏と冬に開催される「特別展」の詳細と裏話をご紹介します。

特別展は、研修棟2階の特別展示室で公開される展覧会で、夏と冬の年2回のペースで開催されます。(夏季展:7月中旬~10月中旬ごろ/冬季展:1月中旬~3月中旬ごろ)


場所は、研修棟の階段(エレベーターあり)を上がってすぐのところ。矢嶋北蔵1階の④展示室から、2階の⑤展示室へ向かう途中にあります。


▲特別展示室の入口

取材で訪れた日は、ちょうど冬季展『陰影の妙味ー飛騨の夜を照らすあかりー』の公開初日でした。会期は、令和8年1月10日(土)~3月22日(日)です。

▲特別展の様子

特別展は、テーマに沿った視点で「高山の歴史文化」を深掘りし、わかりやすくまとめ上げた内容になっており、学芸員さんの監修のもと、会期中にこの会場でしか見られない貴重な資料が展示されます。また、ここでしか知ることができない深掘りされた歴史ネタが満載です。


実はこの特別展、市民の間でも大変人気が高く、毎回見学に訪れる人が結構います。

また、この展覧会に合わせて、テーマに関連する記念講演会やトークショーなども催され、高山の歴史文化に感心をもつ市民が多く参加しています。


シモハタエミコ
特別展は、毎回、とても興味深い切り込み方でテーマが設定されており、いろいろ勉強になるので、私も楽しみにしています。
これは、まち博の学芸員さんで企画されているのですか?
シモハタエミコ
大石さん
はい。館長を含めてみんなで話し合い、テーマを決めています。当館には、私も入れて5人の学芸員がいますので、2つに分かれて、夏担当と冬担当がそれぞれの特別展の準備を行います。
大石さん
シモハタエミコ
準備にはどれくらい時間がかかりますか?
シモハタエミコ
大石さん
ほぼ半年ですね。当館が所蔵している膨大な資料の中から、テーマに沿ったものを探し出し、展示の内容を構成していきます。これが結構大変で、初日直前のギリギリまで展示の準備にかかることもあります。
展覧会を一から作り上げていく過程は、苦労も多いですが、新たな発見も多く、充実した楽しい時間でもありますね。
大石さん
シモハタエミコ
労力と手間をかけて、念入りに作られている展覧会なのですね。そこに、学芸員さんのこだわりと情熱がギュッと込められている…。だから面白いんだ!と納得しました。
高山で生まれ育った地元民でも、今まで知らなかったことが紹介されていて、ここに来れば新しい発見があるので、見学が毎回楽しみです。
まち博さんを訪れるたびに、郷土愛がますます深まる感じがします。
シモハタエミコ
大石さん
令和7年の夏季特別展では「橋をかけるひだびとー飛騨橋物語ー」と題して、『飛騨の橋』の歴史をご紹介しました。
この時、地元の建設業や土木関係の会社の方が「昔の橋について学びたい」と見学にいらっしゃったんですよね。
こんな感じで、歴史とは一見関係の無さそうな、他のいろんな分野の方が展示に関心を持ち、見に来てくださるというのは、本当にありがたいことだと思っています。
大石さん
シモハタエミコ
本当にそうですね!
高尚なイメージがある歴史文化を、私たちの身近なレベルに落とし込み、丁寧にわかりやすく解説してあるところが、この展覧会の魅力だと思います。
会場でいただける特別展のパンフレットは、永久保存版の歴史資料として大事にしています。
そんな まち博の特別展、市民はもちろんのこと、観光客の皆様にも、ぜひ立ち寄って見ていただきたいですね。
シモハタエミコ

学芸員さんの案内で巡る「飛騨高山まちの博物館」見学レポート【番外編】正門と井戸の秘密

最後に、展示室を飛び出して、外の「井戸」と「正門」についてご紹介します!

▲まちの博物館の正面入口にある大きな門と井戸

「井戸」の秘密

実は私、以前から「なぜ正門入口の前に井戸があるのだろう?」と不思議に思っていました。


記念撮影をするにしても、まち博に入館するにしても、井戸があまりにも真正面、しかもど真ん中にあるんです。そのうえ、なかなかの存在感。

(邪魔とまでは言いませんが……)正直なところ、「ちょっと気になるな」と感じていたのが本音でした……ごめんなさい。


でも、そもそもどうして、この場所に井戸があるのでしょうか?


大石さんによると、

「旧矢嶋家邸宅跡地の整備を行った際、この場所に建っていた古いビルを解体したところ、建物の下から井戸が出てきたんです。そこで『さて、どうしよう……』となり、『井戸は埋めるものではない』という意見があがり、残すことになりました」とのこと。


ここに昔の井戸があったから、そのまま復元されたということなんですね。


ただ、発見されたままの状態で残すのは危険なため、人や物が転落しないよう、現在は大きめの石積みの井戸枠を後付けで設置しているそうです。

▲井戸に取り付けられた説明書き。発見された当時の様子がわかります。


「この井戸もそうですが、さまざまな取り組みを進めていく中で、新たに分かったことが出てくると、それらをすぐに生かす形で、まち博の整備に反映させてきました。たとえば、町家の造りなどもそうです。分かったことはきちんと形にして残し、見える形で後世に伝えていく。これも、まち博の大切な役割だと考えています」と大石さん。


ちなみに、この井戸は矢嶋家の井戸とのことです。


▲「おそらくこれですね」と、まち博パンフレットの「矢嶋邸絵図」を指さす大石さん。

▲拡大して見ると、井戸を表す「井」が確認できます。(赤丸で囲ったところ)

この絵図に描かれている井戸そのものではない可能性もありますが、実際に井戸が見つかったことで、かつての図面どおり、門塀と玄関の間にある前庭の一角に「井戸」が存在していたことが分かったそうです。


なるほど——そういう経緯なら納得です。


豪商・矢嶋家の井戸だと考えると、今もなお水がこんこんと湧き続けているという事実も相まって、なんだかありがたい気持ちになりますね。



正門の秘密

次は「正門」の謎を解き明かします。



ご覧の通り、まち博の正門はかなり巨大です。高山陣屋の門よりも大きく、立派に感じるかもしれません。


なぜ、これほど背の高い大きな門になったのでしょうか。大石さんに尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。


「春の高山祭のときに、お神輿(みこし)をここに置くためなんです」


えっ? 祭りのお神輿を!?しかも、門の“中”にですか?


「はい。昔ここには〇〇商店(地元の某老舗会社)があったのですが、そのビルに春祭りのお神輿が入っていたんです」


あっ! ありましたね、あのビル。某会社の大きなシャッター、今でもよく覚えています。


春の高山祭のとき、あの中にお神輿が入っていたということですか。

(※解体したところ、井戸が見つかったという、あのビルです)


▲春の高山祭・御巡幸の様子(画像提供・飛騨高山観光コンベンション協会HP)


「そのビルを壊したときに、『じゃあ、春祭りのお神輿はどうするんだ?』という話になりましてね。でも、『高山の伝統文化を守る施設をつくっているのに、その伝統文化に支障が出るのはおかしいんじゃないか』という意見が出たんです。それなら、お神輿が入れられる門にしよう、ということで、あの大きさの門になりました」


そんな経緯があったとは、初めて知りました。


「まあ、普通に考えると、この門、ちょっと大きすぎますよね」と、笑いながら話す大石さん。


このようないきさつから、春の高山祭の御巡幸(ごじゅんこう)の際には、(御旅所で神様がちょっとお休みされるような感じで)、まちの博物館の正門の中に、日枝神社のお神輿が入られるそうです。


これは意外な見どころですね!



「春祭りといえば……当館は、地域の伝統文化を守るため、地元の方々にも活用していただいています。すでに予約も入り始めていますが、これから春祭りの稽古などで研修室が使われる予定です」とのこと。


飛騨地方では、厳しい冬が終わりに近づく頃になると、宵(よい)の始めの時間帯に、各地域の公民館や神社の社務所から、雅楽や笛と太鼓、獅子舞のお囃子、闘鶏楽の「カンカコカン」といった音が聴こえてきます。

それは、春祭りに向けた稽古の音です。


まち博もまた、そんな祭りの“練習場”のひとつになっているのですね。


飛騨高山に春の到来を告げるあの音(祭りの稽古の音)が、わたしは好きです。雪解けの音と共に、風に乗って、ふと聴こえてくる瞬間がとても待ち遠しいです。



以上、井戸と正門にまつわる、まち博の秘密でした!


▲大石さん、ありがとうございました!

まとめ

『飛騨高山まちの博物館』特集、いかがでしたか?


まち博オープン以降、何度も足を運び、繰り返し見学してきたにも関わらず、初耳の裏話や、初めて知る史実などがザクザク出てきて、まち博ファン&歴史好きにはたまらない「至福のひととき」となりました。


今回は、特別展初日という大変お忙しい中、お時間をいただいて、学芸員の大石さんより貴重なお話をたくさん伺うことができました。心から感謝申し上げます。とても勉強になりました。


観光用のガイドブックには書かれていない、飛騨高山の正道をゆく歴史文化の情報がここにはあります。


高山に到着されたら、まずは当館に足を踏み入れ、高山の歴史や文化に関する知識をざっくりと頭に入れてから、市内観光や周辺散策に出かけてみてください。


まち博で得た「新しい視点」を生かせば、行く先々で、高山の隠れた魅力に、より深いところで触れることができると思います。


▲まち博正門の前でハイチーズ!


【協力】

飛騨高山まちの博物館


ライタープロフィール

シモハタエミコ
生まれも育ちも飛騨高山。生粋の飛騨弁ネイティブです。お車だけでなく公共交通機関で高山に来てくださった方も楽しめる観光情報を中心にお伝えします。また、ニッチなお散歩コースもご紹介します。
実は私、まち博の大ファンです。今回、私の推しをご紹介できて感無量です。
シモハタエミコ

次に読みたい取材記事

ページトップへ